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2008年12月 アーカイブ

2008年12月31日

校章が柏の由来

年末になると年老いた教員が酒を酌み交わしながら昔話をする
本当なのか、作り話なのか
学生たちもタダ酒が飲めるという理由だけで
付き合っている


柏は落葉樹である。しかしこの柏は他の落葉樹と違い、秋ではなく3月も終わりごろに落葉する。3月は卒業生を送り出す時である。柏の落葉は教師として毎年学生たちが巣立っていくのを見送る気持ちを代弁しているのだという。
建学の精神(校是)は「公正、自由、自治」であるが校歌に歌われる「武蔵工大その名こそ、自治と自由のその名こそ」となっていた。この幾分かの不一致にはいくつかの解釈があるらしい。
校是に「公正」が入っている理由はよく分からないが、工専時代に分離・独立したとき母体に「公正」さに欠けた体質が強くあったためという説があり,むしろ「自由」がうたってあることが極めて重要なのです。わが国が全体主義に覆われた1930年代、「自由」を校是にうたっていた学校を卒業した卒業生はかなり辛い目にあった。当時自由を標榜していたのは「自由が丘」、「自由学園」そして我が校の「校是」だったのです。

2008年12月30日

Nonanalytic function

Nonanalytic.pdf 解題: Non analytic functions of a complex variable, Bull.AMS.vol.39(1933)pp75-96 by E.R.Hedrick


Nonanalytic.doc

Periodic van der Pol

Van_der Pol2.docVan_der Pol2.pdf

大学名の変遷

荏原電鉄の専務に就任した五島慶太。この荏原電鉄はその後目黒蒲田電鉄と名前を変え、1924年(大正13年)に全線開通する。その時期が関東大震災と重なり、都心を焼け出された人々が沿線に移住し、業績は一気に好転する。その利益で武蔵電鉄の株式過半数を買収し、名前を武蔵電鉄から東京横浜電鉄と変え、1932年(昭和7年)に渋谷~桜木町間を開通させる

武蔵工業大学から東京都市大学へと名前をかえた。歴史は巡るのですね。状況はかなり違うが・・・

五島は以前英語の教師(三重県四日市商業高校)を務めていた。教育事業に関心を持ち、私財12万を投じて、東横商業女学校を設立し。その後も、財団法人東横学園(現:学校法人五島育英会)を設立したり、東横学園中学校や東横学園女子短期大学を開校した。
以前ぼくは東横短大の統計学の非常勤をつとめたことがある。その際東横の学長から、わが短大は良妻賢母を育てるところではなく、職業婦人として働く女性を育てる大学を目指していると教えられた。そして、たとえば働き先として東横百貨店をあげた。

2008年12月29日

八木秀次

電子立国日本を育てた男―八木秀次と独創者たち
松尾 博志 (著)

やや皮肉な目で書かれている。


八木秀次(1886/1/28-1976/1/19) 

1886年1月28日 大阪府に生まれた。
1909年7月東京帝国大学工科大学電気工学科卒業、仙台高等工業学校講師就任。
1925年12月29日 八木アンテナの基礎理論を完成。
1933年大阪帝国大学理学部物理学科主任教授,
湯川秀樹に量子力学の研究を勧めた。
1955年武蔵工業大学の学長に就任、昭和三十五年まで尽力した。
1956年文化勲章を授与。
1976年 勲一等旭日大綬章を受章 1月19日死去。


上記の本を引用すると
第2次大戦で米軍のおとす爆弾にYagiというマークがあって
当時の軍部は八木の存在を敵軍から教わることになるのである。
かれのアンテナは爆弾を命中させるのに
電波でその方向を見つける通信センサに利用していたらしい。
そのことがあってか、最終的には参議院議員まで上り詰めるかれは
学者というより政治家であった。
現在のテレビのチャンネル数 1チャンネルから12チャンネル
を決めたのも八木であったといわれている

しかし、
八木アンテナは、彼が東北大学にいたころ学生が
指導教授の八木の指示に従わずに
実験条件を勝手にかえて今までの理論とは異なる結果を得た
瓢箪から駒の結果らしい。
そして、それを実用化したのは八木のもとで働いていた宇田川助手であった
しかし、世間はそのこと忘れて「八木アンテナ」
として、宇田川の存在を軽んじていくわけですが、
宇多川はそれに抵抗して「八木・宇多川アンテナ」
と事あるごとに強調していたそうです

どんないきさつがあっても「研究成果」は輝かしいものであるという考えもある

大阪大学の教授に転身した時に八木の助手として
うだつの上がらない一人の学者がいた
いつまでも研究業績を上げない助手に業を煮やしていた
その助手の名は、「湯川秀樹」であった。
後年湯川の下で働いた若い頃研究者であったひとに
「小沼通二」がいて、小沼の自慢話に湯川秀樹が
自分で書いたある論文を紛失した
その論文を湯川の自宅で探し出した。

その小沼は慶応義塾の物理の教授から転身した武蔵工大環境情報の元学部長。
歴史は巡るのですね


2008年12月28日

guitar

娘家族がスキーへ行ってしまい一人になった
いつものように古本屋、
新世界という中華料理屋が面白い
お茶の水というと楽器でも有名
三省堂の近くの黒澤という楽器店に入った
定年退職すると楽器を始められるかたも多いですよと言われる
弾いてみませんかといわれ、
6万円いくらかのの定価を年末セールで4万4千円にまけてくれた
豊洲に引っ越してくるときに今まで使っていたギターのネックが折れてしまい
もう3年以上楽器に触っていない
カラオケのレパートリもすでに枯渇
コブクロも羞恥心もわからない

2008年12月26日

The Bucket List

Jack Nicholson
Morgan Freeman

"Have you found joy in your life?"
"Has your life brought joy to others?"

さて僕は リストに何を書こうか?

風をあつめて

はれ

風強く
こんなに強い風に
押し飛ばされそう
走ったけど押されてるだけ
浴びせられた怒号に見紛う
鼻歌でまぎらす

街のはずれの
背伸びした露地を
散歩してたら

2008年12月20日

2月18日(水)10:30~11:30
「諸分野のための数学研究会」(於)東大数理

Table of the impossible integrals

積分できない表: Table_impossible_integrals.pdf

2008年12月17日

北見工業大学

オホーツク冬の研究集会
「力学系と制御理論」
2008年1月8日
情報システム工学科1号棟2階 E231室

program08.pdf


Van_der Pol1.doc

Kitami.ppt

JAL1183
羽田07:45
北見東急イン 

2008年12月14日

僕の最終講義


> 最終講義概要: http://www.jochikai.net/arimoto/
石井温君、高橋明生君の力添えで僕の最終講義が企画された。
昨日2度めの打ち合わせ会があり、最終講義の内容ということで話を聞いてもらった。
最後を締めくくるには自分の研究をそのまま話すのが自然だし、
それを内容とすることにした。
しかし、聞いてもらいながら、ダメ出しを受けてみると・・・
わかるようにしようとして専門的なことはなるべく省略して
結論だけ言おうとするとそれはかえって逃げに走っており、
聞き手にわかりにくくさせていることがわかった。
とりあづ昨日のだめだしを踏まえ少し書き直してみた。
結果をここに置いておこう。


last_lecture.pdf

12月27日締切

右.jpg

2008年12月 9日

van der Pol revisited

revisited.pdfrevisited.doc

2008年12月 6日

赤坂見附
弁慶橋のボート場を見ながら橋を渡ると
ホテルニューオータニのガーデンコートと呼ばれる建物が見える
6階美術館へ制服を着たお嬢さんに誘導され
通された2部屋の展示された絵は10点ほどしかなく見学は一瞬であった。
しかし、日本画というものにでくわした。
絵の数が少ないので、一つの絵にじっくり時間をかけることになる


new_ootan.jpg

しかし、このガーデンコートというのは意外に面白いのである。
たぶん観客席が階段になっている劇場では、空席で読書している人がいたり
庭はよく整備されていて不思議な空間を形作っている。